生まれ出でくる命のために。 賑やかな大通りから一線を画したところに、小さな美術館があった。 そこはいつも一風変わった催し物を展示するので、物好きな人々が頻繁に訪れることで知られている。 そして今、その"物好き"を構成する人間たちが出て来た。ひとりは紅茶色の髪をした細身の青年で、もう一人は金髪の小柄な少年だ。青年が口元を押さえ苦しげに呻いているのに対し、少年は白い頬を紅潮させ興奮したように目を輝かせている。 そんなちぐはぐな二人は道行く人々の好奇の的となったが、少年は気に留める様子もなく青い顔をした青年を近くのカフェテリアへと引っ張っていった。 「面白かったですねぇ」 「…どこが……」 テラスで青年と向かい合いながら、少年は恍惚とした表情で呟いた。懸想にも似た視線を宙に泳がせ先程の光景を思い出しているようだが、青年はいまだに蒼ざめた顔をして注文した珈琲を啜っている。 「え、面白くなかったですか?」 「…あれを面白いって言えるお前の神経疑うよ…」 「えー…じゃあほら、人体の輪切り標本とか人体のパーツそっくりのパンとか……」 「…だからやめろよもうその話…気持ち悪ぃ」 「そんなことないですよー」 そう返しながら、少年は自分のベーグルサンドに噛みついた。青年が僅かに眉を顰める。 「…お前、あんなの見た後でよくそんな物食えるな」 「え?だってこのパンは別に人体じゃないしこのお肉も別に人間の肉なんかじゃないですよ」 「そういう事じゃねえよ……もういい、お前と話してるとこっちまで頭おかしくなる」 「酷いですねぇ…俺からしてみれば先輩のほうがよっぽどおかしいですよ」 「何でだよ」 「だって、あそこにあった血管や骨や組織は俺たちみんな同じように持ってるんですよ?気持ち悪がるほうが変なんです」 そうして、少年は平然とした顔でベーグルサンドを飲み込んだ。 …お前の言ってることは正しいけど俺が言いたいのはもっと別の問題だよ…と青年は思ったが今度も言いくるめられそうなので口を噤む。 「…そういえば、先輩見ました?」 食べかけのベーグルサンドを皿に置き、少年は青年に問うた。苦痛でしかない映像を再び掘り起こされるのが嫌なのか、青年は露骨に顔を顰める。 「何をだよ」 「胎児です」 「そんなのあったか…」 「ガラスケースの中に何体かいましたよ。見なかったんですか?」 敢えて『いた』という表現にし直されたことで青年は少しばつの悪そうな顔をしたが、すぐに表情を戻し記憶を探った。しかし思い当たる節がないのか、脚を組み替えるとテーブルに片肘をつく。 「無理。思い出せねえ」 「仕方ないですね…あんなに目立つところにいたのに。もしかして先輩怖くて最後の辺り碌に見てないんじゃないですか」 「…そんなことねえよ」 「まあ、いいですけど」 不機嫌そうにそっぽを向いた青年に苦笑すると、少年は鞄の中からパンフレットを取り出した。 「ほら、ここに」 少年の指差した写真には、ケースの中に陳列された何体もの胎児のミイラが写っていた。 「…お前な……こんなの俺に見せてどうしようってんだよ」 「かわいいと思いません?」 「…………………」 「あれ、どうしたんですか」 「…お前の好みはよーく分かったよ…だから俺を早く解放してくれ。もう全部忘れたい」 「先輩何か勘違いしてますね…俺が言いたいことは」 少年はいったん言の端を切ると、潤んだ目でいとおしそうに胎児の写真を見つめた。 「この子たちは、世界でいちばん守られてるって事です」 少年は数回瞬きをすると、青年の方へと視線を向けた。 「…お前なんかおかしくねえ…ミイラになってまで見せ物にされてんのにどこが守られてんだよ」 「そういう現実問題じゃなくて…俺は、この子たちが存在するまでの過程のことを言いたいんです」 「どういうことだよ……」 青年が伏し目がちだった瞳を上げると、少年はほんの少しだけ躊躇い、語りはじめた。 「例えばですよ、女の人がいて、男の人がいて…どんな形であれ関係した場合、条件が整えば女の人は妊娠しますよね」 「そりゃそうだ」 「で、その後胎芽から胎児になるんですけど、…これって、すごいと思いません?」 「何が」 「だって、生まれるまでの長い間胎児はずっと母親のお腹の中にいるんですよ?食事も排泄もみんな母親に任せて、無菌状態の羊水の中でぷかぷか浮いてればいいんです。まさに究極の防護壁に包まれてるって事ですよね」 「……………」 「それで俺思ったんですよ。生まれる時に赤ちゃんが泣くのは母親のお腹の中から出たくないからじゃないかって。母親の胎内ってある種の聖域みたいなものですから、そこが心地よすぎて自分を出さないでくれって訴えてるのかもしれない」 「…良くわかんねえよ…大体、母親が子供を腹の中で長いこと育てるのは動物だって同じだろ」 「あれ、先輩知らないんですか?動物と違って人間はほんとに未熟な状態で生まれてきてるんですよ」 「そうなのか?」 「現に馬とか生まれてすぐ立つじゃないですか。なのに人間の赤ちゃんは立つどころか座ることもできない。なんにも出来ない状態で生まれてきますよね。 さっきの話に付け加えれば…赤ちゃんが生まれてすぐ泣くのは、母親の胎内から出たくないのと、もうひとつ、自分をこんな未熟な状態で出すなって、文句言ってるのかもしれませんね」 「………………」 「とにかく、そんな風に守られてるのにまだまだ不完全な状態のこの子たちって、なんか凄くかわいく思えるんです」 少年は微かにほほえみ、青年の珈琲を口に運んだ。青年は語られた言葉の意味を咀嚼しているのか、先程から押し黙ったままだ。 「なんか先輩静かですね…ごめんなさい、訳判んない事ばっか言ったから呆れてるんでしょう」 「ちげえよ馬鹿…何となくだけどお前の言いたいことは解った」 「え」 「つー事で俺も腹が減った。お前のを寄越せ」 青年は、少年の食べかけのベーグルサンドを一口齧った。 「ふーん…結構美味いなこれ」 「あれ、気持ち悪くないんですか」 「お前の話聞いてたらなんか忘れちまったよ……もういい、これからは俺もお前と一緒の変人になる」 「うわー嬉しいですね。でもお腹が空いて何よりですよ先輩。なんてったって空腹は生きてる証拠ですから、あの子たちの為にもたくさん食べて楽しく生きましょうね」 「食べ過ぎは早死にするぞ…」 青年はパンフレットを少年の鞄に差込むと、勘定を済ませに店の奥へと入って行った。 fin |
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