第一印象を一言で表せば『奇妙』だった。 髪の色や目の色や、そういった極表面的な部分が変わっているのも確かだったが、俺はまずそいつの纏っている雰囲気に当てられた。年齢に似つかわしくない、どこか超然としたオーラ――そんなものを持っていた人間は、今までの俺の人生に誰一人としていなかった。 担任教師が簡単に紹介を済ませた後、そいつはクラス中の生徒の視線を浴びながらも平然として言われた席に着席した。窓際の隅、つまりは俺の左隣に。よろしくと声を掛けるべきなのかどうか迷ったが、やめた。そんな事こいつに必要ない、何となくそう思ったから。 …きっかけが無ければ、偶然に偶然が重ならなければ、言葉を交わす事すらなかったかもしれない俺たちだった。けれども一旦繋がった関係性は日に日に密度を増して、見えない力に引っ張られるようにぐんぐんと転がり落ちていった。 あるひとつの、終わりに向かって。 僕は天使じゃないよ そもそもの始まりは、一ヵ月後に控えた文化祭の実行委員決めだった。クラスからそれぞれ二人ずつ選出する事になっているのだが、頃は中三の秋。受験を控えテストも模試も山積みになっているこの時期に、わざわざ面倒な委員を買って出る生徒などいる筈もない。自然と会議は堂々巡りの呈をなしていた。 皆さん意見はありませんかあ。皆さん推薦する人はいませんかあ。間延びした委員長の声に加えて担任は窓際で居眠り。やる気なんて微塵も感じられない。どうせ中学の文化祭は高校や大学のものと違って規模も小さくつまらない。熱意も機動力も足りないんだからいっそこんな行事、やめてしまえばいいのに。 机に彫ってある落書きをかりかりと指で擦りながら、俺がそんな事を考えていた時だった。 「朱牡丹と久芒なんてどう?」 突然飛び出した自分の名前に、俺は弾かれたように顔を上げた。周りの人間の視線が一挙に集まるのを感じる。臓腑の奥がじくじくと熱を持ち始めた。 「ほら、朱牡丹あんまこういう係やらねえしさ」 「そうだな、転校生にもいい機会なんじゃねえか。二人、仲良いみたいだし」 言い出した奴が、にやにやしながら俺の方を振り返った。嘘つけ、と心の中で吐き捨てる。俺とこいつが会話してる所すら見たこと無いくせに。魂胆が丸分かりで嫌気がさす。 その後はある意味当然とも言える流れだった。発言する間もないうちに多数決が採られほぼ全員が手を上げる。俺は黙って黒板を睨みつけていた。 「それでは、委員はこの二人という事で…いいですか、二人とも?」 首肯せざるを得ないような雰囲気だった。クラスの連中はさも当たり前といわんばかりの顔でこっちを見ている。……腹が立つ。転校してきたばかりの隣の「あいつ」はともかく、俺はこの流れだと確実にやらされるだろう。そうは思ったもののすぐに返事をするのが癪で、俺は頬杖をついたまま唇を引き結んでいた。もし俺がここで拒否したらどうなるんだろうか―――それはそれで面白いかもしれない…………… 「いい゛よ」 少し掠れた鼻声が、俺の隣…つまり例の「あいつ」から発せられた。さっきとは別の意味で驚いた俺は、思わずまじまじとそいつの顔を見つめてしまう。だが、ビスクのように無機質な白さを持った顔からは、なんの感情も汲み取れなかった。 「よーっし、決まり」 丁度授業終了のチャイムが鳴り、クラスは一斉に掃除開始の態勢に入る。なし崩しに定まってしまった運命に、俺は呆然と座り込んでいた。 「おい…おい、お前!」 放課後、俺は帰りかけていたそいつを捕まえた。髪が僅かに揺れ、濃い二重瞼に縁取られた瞳がゆっくりとこちらを向く。 「お前さあ、なんで今日あんな事言ったんだ?」 「…あんな事?」 「だ、か、ら!今日の委員決めだよ!お前がわざわざ返事すること無かったじゃんか」 「………ああ゛……」 数秒視線を宙に浮かせた後、そいつは思い出したんだか思い出してないんだか判らない口調で呟いた。同時に、なんでそんなこと今更持ち出すんだ、という目で俺を見る。 「…答えちゃ、いけな゛かったか」 「そ、ういう訳じゃ、無いけど…あん時はハメられたみたいな感じだったし、なにもお前が進んで『やる』なんて言わなくても良かったんだよ」 「………………」 そいつは、俺から視線を外すと無言で教室から出て行った。怒らせたのかと不安になったが、考えても詮無い事だ。 …まあ、いいか。文化祭の委員だけの付き合いなんだから、事務的な協力さえしてくれれば特に問題はない。少々、そりが合わなくても。 そう割り切って、俺も帰り支度を始めた。 次の日から、俺たちは早速委員の仕事を割り当てられた。内容は、中庭の花壇の整備と落ち葉掃除。はっきり言って美化委員の仕事なのだが、人手が足らないのかただ単に面倒だったのか、体裁の良い口実をつけこっちに回してきたらしい。俺は盛大に溜め息をついた。これから数週間の間、放課後こんな仕事をやり続けなければならないかと思うと気が重くて仕方がない。 今思えば、どうしてこんな係を引き受けてしまったのだろうか。確かにあの時は断れないような状況にあったかもしれないけれど、本気で抗議していれば少しは変化があっただろうに……………無駄だと分かっていても、だらだらと続く後悔の念が頭上で渦を巻く。脳内で点滅する『∞』のマーク。エンドレスループ。どこまで行っても辿りつくのは情けない現在の自分だった。 無性に苛ついてきて、俺は地面に溜まっていた落ち葉の山を蹴った。乾いた葉がひらりと舞い、無言で再び地に落ちる。その葉を俺は更に踏みつけた。 ふと、中庭の隅に目を遣った。そこには、しゃがみ込んで黙々と作業を続ける『あいつ』の姿があった。誰が見ている訳でもないのに、お前馬鹿かと言いたくなるくらい真剣に草抜きに専念している。近くに積まれた雑草は小山ほどの高さになり、そいつの白いマフラーには僅かに砂がついている。俺はなんともいえない気分になった。 「………あのさぁ」 「……………」 「ねえ」 「………………」 「ねえってば」 「…………ああ゛…何?」 「お前さ、そんなに一生懸命草抜いてどーすんだよ。どうせ誰も見てないんだし、適当に時間潰して終わりゃあ良いじゃん」 「そういう訳には、いかねえ゛」 「はあぁ…お前意外と真面目なワケ」 「……別に……こういう゛のは里でいつもやってたから゛」 「里?お前の実家ってどこらへんにあるの」 「…………」 そいつは、一瞬瞼を伏せた後再び作業を開始した。俺は質問の答えを聞き出そうとしたが、その横顔は相変わらず無表情のままにもかかわらず、何処となく拒絶の色が浮かんでいるようにも見える。仕方なく諦め、そいつから少し離れた所で俺はぷちぷちと草の葉をちぎりはじめた。 それでも、何週間かの仕事を通して、俺たちは徐々に打ち解けていった。どちらからともなく下の名前で呼び合うようになり、移動教室も一緒に行動するようになった。元々俺もクラスでは浮きぎみだったし、そいつ――白春はというと、クラスの連中と仲良くしようなんて初めから考えていないらしく、いつも一人でぼうっと何かを考えている。 そんな、どこから見ても『変わった奴』である白春は、当然とっつきにくい所もあったけれど、俺は嫌いじゃなかった。寧ろ、好ましいとすら感じていた。今考えてみれば、それはクラスという閉鎖的な集団の中で孤立していた俺たち二人が精神的にシンクロした結果だったのかもしれない。どこか見えない場所で、頼りない細い絆で繋がっている――勿論その時の俺はそんな所まで考えもつかなかったけれど、とにかく自分がいても許されるような場所を欲していたんだろう。 けれども、俺は気付きはじめていた。白春を初めて見た瞬間から感じている"違和感"に。確かに白春は普段から空想の世界に居るような茫洋たる印象の人物だったけど、決して頭は悪くない。ただ、そこに存在している筈なのに何故かそれを感じないような漠然とした「不安」が、相手を困惑させているだけなのだ。それは捉えどころがない、だの、存在感が薄い、だの、そういう言葉で表現できる類のものではなかった。もっと違う、もっと深い、どうしようもない『何か』が、白春の周りをいつも取り巻いていた。そして俺は、だいぶ後になってようやくその正体を知ることが出来たのだった。 すべてが手遅れになった後に。 文化祭まで残り僅かとなった日の放課後、いつものように委員の仕事を終えた俺たちは家路についていた。奇遇にも俺の家と同じ方向に越してきていたらしい白春は、大抵途中まで俺と一緒に帰った。そして、日が経つにつれ白春に対してのみ饒舌になっていた俺はよく喋った。テストのこと、昨日見たテレビ番組のこと、携帯のこと、パソコンのこと。一体俺はいつこんなに沢山のことを考えていたのだろうと思うくらい話題は尽きなかった。白春も、そんな俺を咎めもせず相槌を打ちながら話を聞いてくれた。もっとも、クラスについての話題は暗黙の了解であるかのように、お互い一言も触れなかったけれど。 そしてその日は、俺の親の帰りが遅くなるため公園に寄り、ブランコに座っていつもより長く話しこんだ。そしてその分、俺はいつもとは違う話題にも触れた。 「そういえばさぁ、なんでお前あの時『やる』って言ったんだ?」 「……え?」 「や、しつこいけどやっぱ不思議なんだよな。お前別にクラスの奴ら好きじゃないんだろ?だったらわざわざあいつら喜ばせるような事引き受ける必要無かったよなって。俺ならまだしも、お前あん時転校してきたばっかなんだから黙ってればやり過ごせたのに」 「……………」 「普段の態度見てるとあれ以外はお前、特に積極的って感じでもないしなあ」 「……………」 「なあ、なんで?」 「………前の学校で、毎年委員みたいな仕事やってたん゛だ。植え込みや花壇の手入れしたり、ポスター描いたり…結構そういう゛の好きだった、から」 「へぇー…なんか羨ましいな、そういうの楽しいって思えるなんてさ。俺十何年生きてきたけど学校行事の準備が面白いなんて思った事一度も無いよ。まあ本番はもっとつまんなかったけど。はは」 「………」 白春は、どこか寂しげな目を俺に向けた。…薄く、涙の張ったような瞳。俺は何となく心苦しくなって、無意識のうちに視線を外す。 何処からか、カラスの鳴き声が聞こえた。冬が近づき赤みを増した夕焼けが、白春と俺の影を細く長く浮かび上がらせている。俺たちはそれを見つめたまま、暫く言葉を交わさなかった。 「―――な、ひとつ訊いていい」 沈黙に耐え切れなくなった俺は唐突に言葉を発した。白春が顔を上げるのを確認すると、口元を上げ努めて明るい調子でまくし立てる。 「この間も聞いたけどさ、お前って昔はどこに住んでたんだ?きっとこんなとこより良い所だったんだろ?」 俺はブランコを大きく漕ぎはじめた。錆びた金属の臭いが鼻につく。メトロノームを思わせる規則正しい軋みが、他に誰もいない公園に響いた。 「………………俺は……」 ぽつりと、白春が言葉を漏らした。俺は漕ぐのを少し抑え、全身を耳にして意識を傾ける。 「……俺が、昔いたところ゛は、小さな町の中の、ほんとに小さな村だった」 白春はすっ、と瞼を閉じる。俺は、それが話をする時の白春の癖だと気付いた。 「…楽しかった、あのころは。川があって、山があって、花も、きれいで。花粉は嫌いだったけど、それ以外は本当に゛みんな、好きだった」 「――お前、じゃあなんでここに」 「……父さんが、親戚の連帯保証人になっちまってな゛」 そこで一旦言葉が途切れ、白春が鼻を啜る音が聞こえた。俺はというと、突然飛び出した穏やかならぬ単語に硬直しきってしまう。 「……案の定、取立屋が家に来た。だから゛俺と父さんだけ、ここに逃げてきたんだ。母さんはどっかに連れてかれた。でもなんか、こっちにも追手来てるみてえ゛だし」 「…………それで」 「父さんは、覚悟しといてくれ゛、だと」 「…覚悟」 「うん゛」 白春は再び鼻を啜った。俺はとてもじゃないがその『覚悟』とやらの内容を口に出すことは出来なかった。打ち消そうとしても打ち消そうとしても、同じ一文字ばかりが頭の中でぐるぐると螺旋状に回り続ける。同時にそんな筈はない、と自らに言い聞かせる自分がいた。俺はそういった金銭がらみの悶着で大事に至るというのはおよそドラマや映画の中にしか存在しないものだと傲慢にも決めつけていたし、目の前にこうして存在している人間がそういったことに巻き込まれるという事実を認めなかった。仮にそれが本当だったとしても、それだけの事を受け容れるだけの心の余裕などその時の俺には無かっただろう。 俺が何を言っていいのか分からずに俯いていると、白春は俺の肩を軽く叩いた。 「……なんて、冗談に決まってる゛だろ。録って案外騙され易いなあ゛」 くっくっ、とさも可笑しそうに白春は笑った。俺は漠然とした不安は拭い去れないものの、怒ったふりをして白春の脚を蹴り立ち上がる。 「あー、真面目な話かと思って損した。つか、俺もう帰るから!じゃな」 側に置いていた鞄を掴むと、俺は公園の出口に向かって駆け出した。 「録」 か細い声が聞こえ、俺は思わず立ち止まる。振り返るとそこには、夕日を背にして所在無さげに佇む白春がいた。 「白春?」 「…………」 「どうした?」 「……………」 「?」 「………文化祭、がんばろう゛な」 「分かってるよ。あ、本番は一緒に出し物見て回ろうな」 「…うん゛」 白春が頷くのを確認すると、俺は胸の妙な擽ったさをかき消すように全速力で家まで走って帰った。一度も、振り返らずに。一度も、立ち止まらずに。その間だけは何も考えなくて済んだ。ただ、僅かに早くなってゆく心臓の鼓動だけに気を取られていれば良かった。それは、白春の運命に対して抱いていた形のない恐怖に押し潰されないための、無意識のうちに作り出した防護壁でもあった。 次の日、担任から知らせが届いた。それは人間にとって最も重く、最も冷たい事象の訪れが白春に起こったというものだった。俺は微動だもせずその報告を聞いていた。クラスの連中がちらちらと俺の方を見ては何か話していたが、今はそんな雑音も気にならなかった。 黙祷を捧げる間、俺はずっとひとつの事について考えていた。昨日見たばかりの白春の姿が網膜に焼きついて、目を閉じてもその映像ばかりが浮かんできた。けれど、その時は不思議と涙は出なかった。ただひたすら、考えていた。白春という人間がいた、その意味について。 数日後、恙なく文化祭はとり行われた。何もなかったように、何も起こらなかったかのように、ほんの一週間前とは確実に違うことがあるにも関わらず。 誰もいなくなった教室の窓辺に座り、俺はぼんやりと眼下の光景を見つめていた。中庭には劇に出る生徒たちが待機し、きゃあきゃあと騒ぎ合っている。綺麗に手入れされた植え込みが陽の光に眩しい。俺は少しだけ目を細めた。 床に座り込んだ俺は、ふと白春の机の上を見た。小さな花瓶におざなりに生けられた花。風に吹かれ花弁が一枚、はらりと床に落ちる。 俺は、わからなくなっていた。生きようと思っても、必要とされていても、自分ではどうしようもない事で人間が死ななければならないことについて。あの夕暮れの公園で、白春は俺に何かを求めていた。俺が白春をどうしてあげられる事も出来ないと知っていながら。 思えば、白春は最初から「死」にとり憑かれていた。出会った時から感じていたあの違和感はこれだったのだ。何も知らずにただ"大人になる"という決着点に向かい、確実に用意されたレールを辿ってゆけばいい俺たちとは違っていた。白春は、日々が一歩一歩「死」という終末へ繋がる日常を過ごしていた。それが白春を、年齢に不自然な程危うく不安をかき立てるような雰囲気の人間にしてしまっていたのだろう。 一体、どうすればよかった?一体、何ができた?俺には力も頭もなにもない。「友達」と呼べた人間ひとり、助けることができなかった。俺はどうしようもなく無力だ。 なあ、教えてくれよ。あの時お前は何が言いたかったんだ。文化祭を頑張ろう?そんなこと言いたかったわけじゃないだろ。俺な、一回でいいからお前がほんの少しでも、自分を晒してくれるの待ってたんだ。いつも俺のくだらない話に付き合ってくれたからさ、俺もどんなことでもいいからお前のことを聞きたかったよ。お前が、ほんとうに思ってることを知りたかったよ。 な、本当は苦しかっただろ。つらくて、毎日から逃げ出したかっただろ。俺はお前みたいな状況に置かれたことないから分かんないけど、きっと、狂ってしまいそうに、苦しいんだろう。 お前はどう思ってたのか知らないけど、少なくともお前は俺にとって友達だったよ。出来るならこのままずっと一緒にいて、おんなじ高校に入って、それで同じようにこうやって過ごせたらどんなにいいだろうって、思ってたよ。 どうしてかなあ。俺泣けないんだよ。お前がいなくなったってのに。それどころか喉も渇くしお腹も空くんだ。勉強も、クラスの奴らが嫌いなことも、なにも、変わらないんだ。なにも、変われないんだ。俺はいつからこんな最低な人間になっちゃったんだろうな。 ―――気が付けば、既に日が落ちかかっていた。茜色の光が、俺の居る四角い箱の中を隅々まで照らしている。 ふらつく足を叱咤し立ち上がった。夕日が背後から俺を照らす。そして、床の上に細長く、ひとつだけ影をつくりだした。 俺は、無言で教室を出ようとした。けれどその瞬間、瞼の裏にあの日の白春が浮かび上がる。寂しげに、何かを想いながら自分を見送ったであろう、白春の姿が。足元の影をじっと見つめた。その瞬間、熱い液体が一筋、頬を伝って影の上に落ちる。そして、その滴はあとからあとから出てきて止まることを知らなかった。 俺は、ゆっくりと振り返った。あの時後ろに存在していたはずの光景を見るために。 「白春」 からっぽの机の上に置かれた花が、静かに夕暮れの中で佇んでいた。 fin |
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