出会いは必然だったのか。











青天海泊上々天気
















一人の少年が、港の桟橋に腰掛け揺れる水面を見つめていた。彼の身体は前後に微かに揺れ続け、まるで飛び込む時期を見計らっているようにも見える。
少年の顔には、凡そ人間味を感じさせるすべての表情が抜け落ちていた。蝋のように青白い貌にはほんの――ほんの僅かな絶望と恐れの表情が浮かんでいるように見えたが、吹きつける潮風は一瞬にしてそれすら奪い去ってしまう。


彼は待っていた。いや、待つことしか出来なかった。死、或いはそれに値するものが自分をとらえ向こう側へ連れて行ってくれるのを。だが願えば願うほど死は彼から遠ざかりその片鱗すら現そうとしなかった。
かといって彼には自ら命を絶つほどの勇気はなく、生と死の狭間で彼はやじろべえのようにぶらりぶらりと揺れ動いていた。医学的に彼の身体は『生きて』いるものの、その心には僅かな波風も立ってはいない。



文字通り、彼は「生ける屍」と化していた。












「―――ちょっと…ちょっと、そこのお前!」

突如背後から掛けられた声に、少年はゆっくりと振り向いた。群青色の瞳に映る見知らぬ人影。少年は僅かに眉を潜めた。
「邪魔だぞ、そんな所に座ってると。ここら辺はもう直ぐ工事が入るんだ」
少年が何も答えないでいると、人影は無造作に少年の隣に腰を下ろし気怠そうに煙草をふかし始めた。黒のTシャツにジーンズ。歳の頃は自分より大分上だろう。

未だ言葉を発しない少年に、人影は少々苛ついたように口を開いた。

「おい」
「…え?」
「聞こえなかったか?ここはもう直ぐ工事になんだよ」
「そうなの」
「そうだよ。あと少ししたら怖え親仁が怒鳴りに来るぜ」
「………………」

少年は再び俯いた。細い金髪がさらさらと風に靡く。その白い横顔を見ながら、人影は静かに煙を吐き出した。

「…お前は」
「?」
「なんで、こんな所にいんだよ」
「…………」
「言っとくけどここじゃ死ねないぜ。思ったより底が浅いんだ。海草絡みつくだけでちっとも溺れやしねえ」
「…見てきたような、言い方だね」
「試したんだよ」
「自殺を?」
「ああ」
人影は、煙草をコンクリートの地面に押し付けた。


「本当に死にたかったのかどうかはもう忘れちまったけど、相当苦しかったんだろうな、その時は」

ぽつりと人影が呟く。少年は伏せていた顔を上げた。

「聞きたいか?」
「何を」
「どうして俺が死のうと思ったか」

少年は改めて相手の顔を見据えた。よく見れば自分とそう歳の変わらない、どこかあどけなさを残した人物だ。

こくりと、少年は頷く。





「……昔な、付き合ってる人がいたんだ。だけど俺はいつも遊んでばかりいて、その人とあまり一緒に居なかった」
「どうして」
「要するに、耐えられなくなったんだよ。俺はそれまで本気で好きになった人間なんかいなくて、その人と付き合い始めたのも最初は好奇心からだった。でも一緒にいればいる程俺は自分の欠点ばっか目につくようになっちまって、さ」
「自分の…?」
「そう。普通は付き合ってくうちに相手の方の欠点ばっか見えてくるもんなんだろうけど、俺達の場合は違った。それだけその人は大人だったんだ。逆に俺は恋愛なんて持って二週間みたいな未熟者でやることなすことその人に叶わなかった。一緒にいるだけ器の違いを見せつけられるような感じがしたんだよ。俺は堪え性もないから暫くする内に段々嫌になってきて、その人を避けるようになった」
「そんなに…すごい人だったの」
「すごい人、っていうか」

人影は、空を見上げて大きく息を吐いた。

「決して優しい人じゃなかった。誰に対しても、勿論自分に対しても厳しくて、甘さとか弱さとかを全然見せなかった。俺は、ただ純粋な興味からその人に近づいたんだ。最初は相手にされなかったけど、纏わりついて纏わりついて、ようやく側にいてもキツイ視線送られずに済むようになった」

「その頃の俺は今よりもっと単純で、目の前のことにしか興味がいかなかった。その人の背景にどんなものがあって、どんな境遇にあって、生きてくためにどれだけ苦労しているかなんて考えたこともなかった。目に見えるものがすべてだった。そのうち長い時間が過ぎて、一緒にいる時間が増えて…いつからだったんだろうな、その人への興味が引け目に変わったのは」





少年は相手の目を見た。
紅く縁取られた、水晶のような瞳。透明に光るその両眼は、一体これまで何を映してきたのか。


「それから、俺はその人をほっといて毎日遊んでた。どうせその人も忙しいし、俺が離れたって気にしないだろうって。たまに会えば説教されたけど、俺はその人に好きだともなんとも言われたこと無かったから、ああどうせ年長者の責任みたいなん感じてんだろうなって、そうとしか考えなかった。一時でも俺なんかと付き合っちまった義務感でそうしてるんだって。
もうそうなるとどうでも良くなって、結局俺の一人芝居だったって思うと虚しくなった。その人からのメールも電話も全部無視して遊び呆けてて、そんな時…」


人影は言葉を切った。煙草を持つ手が僅かに震えている。


「その人が死んだって噂が入った。最初は信じられなかったけど、その人の家に行ったらもう通夜も告別式も終わってて、遺体もとっくの昔に焼かれてた。その時に、俺は初めてその人がどんな苦労してたか知ったんだ」

「まだほんの小さな子供が四人、部屋の隅で固まって泣いてた。俺は混乱しまくってとにかくその場から逃げ出したよ。走って、走って、走って―――…その人の家が完全に、見えなくなるまで」

「……………………」

「悲しい、っていうよりどうして、って気持ちのほうが強かった。俺にとってのその人は完璧に近い存在で、およそ死ぬなんてことには縁がないと思ってた。人がどれだけ脆くて傷つきやすいかなんて忘れてた。とにかく日常に戻ろうと必死になった。別にその人は俺のことなんてとっくの昔に忘れてただろうし、俺とは関係が無くなってたんだって。もう俺達は他人になってたって、そう、言い聞かせて」

「何日かした後、俺は携帯を見た。その人からメールが来てたこと思い出して、この際だから全部削除しちまおうって。どうせ俺に対する説教ばっかりだろうなって思った。見るのが嫌だった。
――だけど」


「違った。開いても開いても、『大丈夫か』って、ただそれだけしか送られてなかった。毎日みたいに送られてきてたその人からのメール全部開いて見た。同じことしか書かれてなかった。説教や不満なんてひとつも…本当に、ひとつもなかった。
なんでだよって思った。馬鹿じゃねえのって。関係なくなった人間をこんなに心配すること無いじゃないかって。あんな厳しくて、俺のこといつも叱って溜め息ついてたあの人がこんなに俺のこと、気に掛けてた筈ないって」

「……………君は」

「俺はとうとう、最後の最後まで阿呆だった。その人がどんな風に自分の気持ちを表現するかなんて分からなかった。分かろうともしなかった。単に俺が今まで体験した薄っぺらい恋愛の判断基準をその人に押し付けて、恋愛はこうでなきゃいけない、相手を大事に思ってる証拠はこれだ、相手を嫌いになった証拠はこれだ、って思い込んでた。俺はどこまでも身勝手だった。あの人を理解しようとする努力もせずに、ただ自分の興味を満たしたいだけでその人の世界に侵入したんだ。その人を壊したのは俺だった。余計な心配も苦労も全部、俺がつくり出したんだ。あの人はあの人のやり方で、ちゃんと俺を思ってくれてた。
それが分かった途端、もうそれこそ気が狂いそうになって、夜も眠れなくなった。毎晩毎晩、夢の中で顔のないあの人の兄弟が俺を責めるんだ。お前なんか死んでしまえ、死んでしまえ…って」


「…それで」

「だから俺は自殺しようとした。この港に飛び込んだけど全然底が浅くて、それならもっと向こうへ行ってやろうと思って立ち上がったら、海草に足取られて転んじまった。
あんまりにもドジでさ、なんか知らねえけど可笑しくて仕方なくなった。一人で笑い転げた。どこまで俺はみっとも無えんだよって。
……そこで思い直したんだ。だったら、みっとも無え奴はみっとも無いなりに何かしてやろうって。あの人を散々苦労させたから今度はあの人が一番大事にしてた人達を、守ろうって」

「…………………」


人影は、隣で押し黙る少年に視線を向けた。


「あ―…悪い。なんか愚痴話みたいになっちまったな。つまんなかっただろ、知らない奴のこんな話聞いたって」
「…そんなこと、ないよ」


少年は顔を上げ、相手の顔を見た。


「ありがとう。その…すごく、ためになったよ」
「そうかぁ?」

人影は怪訝そうに眉を顰めると、上を向いて煙を吐いた。そしておもむろに口を開く。

「そういやお前、名前は?」
「名前?」
「愚痴聞いて貰った礼になんか奢るよ。名前くらい教えてくんね?」
「…僕、は……僕は、墨蓮」
「そ。俺は御柳」

人影…もとい御柳は、特徴のある八重歯を覗かせて笑った。




「いい店があるんだ。良かったら…」
「そこのお前等!どけ、工事の邪魔だ!」
「げっ、出た!」

御柳は飛び上がると、少年…墨蓮の腕を掴んで走り出した。







立ち昇る熱気。墨蓮の白い肌には、ほんのりと生の証が浮かび上がる。























「………もう少し、生きてみますね」


賑やかな繁華街へと続く階段を駆け上がりながら、墨蓮はそっと呟いた。








fin











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